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〈fig. 1〉f1-95 ソラが低い。例年なら秋天の空は高いはずなのに。低いどころか、天が地を圧迫するほど、空間を狭(せば)めている。もはや空間ではなく、空隙(くうげき)といいかえるべきだろう。その空隙に立ち尽くす、ひとり。風雨にさらされ、鉄錆に腐蝕された寝台の上で。

〈fig. 2〉f2-01 ソラが低い。低いどころか、しだいに天蓋(てんがい)は下降しつつある。その遮蔽壁(しゃへいへき)を下支えしている、ひとり。そこには、野火と濁流の地走りが、いくばくか兆(きざ)されてはいないだろうか。

〈fig. 3〉f3-05 東アジアから北海道・下北半島を南下して、種差海岸へ。渡り蝶アサギマダラのように。

〈fig. 4〉f4-17 アサギマダラが蜜を吸うヒヨドリバナのように。ヒヨドリが鳴くころに花を付けるからだという。アサギマダラの渡りの原動力は、種差の草地に自生する白い小花の可憐な群落であった。

〈fig. 5〉f5-99 天蓋を背負う愉悦(ゆえつ)にもみえる、ひとりは、その反面、遮蔽壁に釘付けされた苦役(くえき)にもみえるから、穏やかならぬ心地がする。

〈fig. 6〉f6-10 種差の渡り鳥イソヒヨドリもまた、磯浜や渓流に棲息するからには、ヒヨドリバナの蜜を吸って南下・北上するアサギマダラと、どこかでクロスしているのかもしれない。

〈fig. 7〉f7-18 その「どこか」が、この地上に遍在する鉄製寝台の上であったとは。

〈fig. 8〉f8-22 ヒヨドリバナとアサギマダラ。詩人ツェランの「紅い花 ジギタリス」から遠来した、画家キーファーの錬金術的な渡り蝶「柘榴(ざくろ)石の妖精」。

〈fig. 9〉f9-1 ソリチュード(Solitude 独在)が、真に「ひとり」たりうるには、おそらく姿なき「もうひとり」とともにあるほかないだろう。

〈fig. 10〉f10-8 アイゼンベット(Eisenbett 鉄製寝台)に横臥を強いられた、かくも長すぎる漏刻(ろうこく)とともに。

〈fig. 11〉f11-5 「ふたりであることの組曲 パルティータ」。

〈fig. 12〉f12-520 「にのまいのシークエンシャリティ 継起性」に、いきなり横殴りのショットが紛れ込む。「にのまい」が、起源の反復のことではなく、反復の起源のことでさえないとしたら。

* 2013年8月24〜25日、青森県立美術館シアターで上演された(豊島重之+モレキュラーシアターによる)《Kavkaz カフカス》公演より。

出演:中野真李 nakano mari・田島千征 tashima chiyuki ほか

撮影:yonai aki  © molecular-theatre.jp