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豊島重之+モレキュラーシアター『nino-maii にのまい』公演評
2014年2月・両国シアターΧ

《細密の次元・素粒子の次元へ》 

  及川 廣信(アルトー館 代表)

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2月15日、都内は何年振りかの大雪だった。東京の大雪の日は何かが起こる。そんな予感を感じるのは、歴史を経験した者の習いのようだ。

豊島重之演出によるモレキュラーの、両国の劇場シアターXでのこの日の公演は、それに応えて、観る者に斬新な演出で強い衝撃を与えた。

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ひとつは、「四」という数の解釈。チェーホフの「4幕」の芝居では、四季の移りの中に演じられる様々な悲劇が発生する。それをチェーホフは〈喜劇〉と見たのだが、この同じことが反復される現象を、豊島氏は「四」という数が持つ〈同一性〉と見ている。従って、モレキュラーがこの1場から4場までを、同一のものを別の側面から見ている限り、「同一なものは変調して反復するに過ぎない」ということになる。

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では、この場合の〈同一性〉としての原理は何か。それは今われわれにいちばん大事な問題として迫っている「文化より先ず人間の生命の重要さを考えろ」ということになる。それはブルトンからブレヒトへ、またベンヤミンからアドルノへと伝えられ主張されて来たことであるが、その歴史的事実として未だに忘れてはならないのはナチの「ガス室」のことである。これを豊島氏は〈4枚の写真〉とディディ=ユベルマンの『イメージ、それでもなお』からテーマを取り出している。

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二つ目は、そのテーマを演出の豊島氏はどのような方法で掘り下げて行ったのか。発生学的には人間の顔、つまり顔面表情の部分は、魚類のエラの部分が頭部に競り上がったものである。舞台上では、頭部の唯脳論(養老孟司)的な発生過程を田島千征(ちゆき)の顔面表情が引き受け、他方、身体の動きとかたちの唯臓論(三木成夫)的な発生過程を中野真李(まり)が務めたのだが、とはいえ、豊島氏の演出意図はその対比だけが問題なのではない。

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四というテーマを演じる二人の演技に「光面=プラージュ」を照射することによって、表情または身体の動きのさらなる細部が浮き出されたことに注目したい。結局は、腔腸または環形動物から始まるヘッケルの進化論的発生学は、最初の管がすべてで、生物のあらゆる臓器と器官はこの管の変形、発達によってつくられており、それらの動物の内的組織とかたちと動きは、それぞれの環境への対応によって出来上がっているという、発生学の過程をじかに感じとることが重要なのである。

豊島氏の野望は、この〈細密〉な関係と自然との対応によって生じた人間という生物の重要さと、あらたに掲げられた〈心または意識〉の問題だったのである。そこから植物、動物、人間の生命の尊さがあらためて感じとられ、一方、意識の上での「揮発性」の問題が彼にクローズアップされたのだ、と推測する。

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三つ目は、この細密な状況において人間の感覚はどのようになっていくのか。それを光の問題として、演出上の指示を受けながらも、照明の間垣隆がどのように実現したか。結論から先にいうと、彼は劇場のボックスそのものを量子力学の色彩で埋めたのであった。

この目で観た世界の三原色と量子力学の世界の三原色とは違う。量子力学の色と神秘的な色とは同一であるが、その境界の色は紫で、量子力学の世界の三原色は青と黄と白である。この作品は全体に紫がかったブルーが占め、壁には粒子上の弱い黄色の光が点っていて、床上の台は白である。これはゴッホの晩年の絵の色使いを彷彿とさせる。

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それでは根本忍による音は、どうか。音響的特性を持たせた時間を「入れ子構造」にする彼の技法は、複数の時間と時間感覚の〈併存・併置〉だけでなく、音とセリフ(voice 出演:大久保一恵、高沢利栄)の交差の中に感じとることができた。

根本氏から直接、彼の意図を聞いたところでは、要は、音響によって「時間感覚が変容する」ことのみならず、「複数の時間/複数の時間の感覚が、完全に混沌とはならずに併存・併置している/されている」事態を、露骨にではなく朧げに感得され得るようにすることにある。

加えて「いつ鳴り始めたのか」が少々捉えにくい、音の起源と持続に係る短期記憶を少々辿り難いようにすること、或いは「さっきも聴いたような気がするこの音は、しかしいつ聴いたんだっけ?」といったような(時間的前後関係/反復に係る軽微な錯乱等も含め)意識を生じさせる可能性を含むようにすること、などを前提しつつ、この『にのまい』の音響を制作したようだ。ここでも〈細密〉な思考実験が実を結んでいるのは明らかである。

このようにしてモレキュラーの視点または色覚や聴覚が、Mol(モル分子)の次元から素粒子の次元へと深まっている。『にのまい』の舞台は、そのモメントとして銘記されるにちがいない。

2014年2月28日、及川 記
(写真は「にのまいbis」@八戸市美術館 2014年8月23日)